日本の大学病院の歴史

大学病院の歴史

日本の歴史のなかで、大学という教育機関の立場も多様に変化してきました。
近年に起きた大きな変化では、平成15年に国立大学の独立行政法人化が行われたことが記憶に鮮明なところでしょう。

こうした大学の変化もあり、大学病院というものも時代に伴って変化してきました。
現在の大学病院という環境をより深く理解するためにも役立つものとなりますから、ここで日本の大学病院の歴史を簡単に紹介しておきましょう。

まず明治時代に政府により西洋医学が推進されるようになって、それまでの藩校や私塾における学問的な医学教育や、医師の家庭における教育などで扱われていた東洋医学の技法を学ぶだけでは、医師の資格が与えられなくなりました。

そうして、医学教育の場が病院が付属した教育機関における専門職教育へと変化し、大学病院的な基礎が誕生したのです。

このころ、医師や看護師といった職種の分離も進みました。
第二次世界大戦前の時代は、学校体系が非常に複雑で、医師養成では、実践的な専門学校の医学専門部と、研究分野に力点が置かれた帝国大学などの医学部とが存在し、それらに病院が付属するといった状態となっていました。

第二次世界大戦後になり、それまでの教育機関が抜本的に改組され、新制大学が成立すると、附属病院が医学部、歯学部に附置されるのが原則として定められ、大学病院の名称も定着していきます。

その後、医療の高度化は飛躍的に進み、医療系のコメディカルや、福祉系の職業など、職業の細分化、専門職化が急速に進んでいき、各教育機関が病院でその実習を行うようになってきました。

他大学の大学病院を用いて実習するケースもありましたが、この時期には、私立大学の薬学部やリハビリテーション系の学部、福祉系の学部をもつ大学など、多数の大学が教育課程をおこないやすいように、自大学へ付属病院を設けるケースが増加していきました。

少子化に伴う、学生の獲得競争もその背景にはあったでしょう。
先の国立大学法人化をへて、国立大学における大学病院のスタイルもかなり変化しました。

旧来、医学部や歯学部ごとに分けられていた付属病院を1つに統合する大学が増え、組織の変革が進んだといえます。

新しいスタイル

同時期に、地域の公立病院への指定管理者制度が導入されたこともあって、法人化した大学もその指定管理者として手を挙げることができるようになりました。

もともと公立病院は、診療科ごとにいろいろな医科大の医局から派遣を受けて医師を確保していたため、安定して人材を確保することができていないケースが多発していました。

しかし、ここで大学法人に指定管理者として座ってもらえれば、病院の経営管理を任せられ、十分な医師確保が容易になります。

こうしたメリットがあるため、大学が指定管理者となる公立病院が近年では広がりをみせつつあります。
このような公立病院は、大学が経営そのものにも携わっていますから、大学病院と大学の系列病院との中間的な位置づけのものとなり、新しいスタイルの病院ともいえるものになっています。

医師確保がより不安定な地方地域においては、このような病院がさらに増えていくことも十分に予想され、大学病院のイメージもまた異なったものとなる時代も近づいているといえます。